毛玉
本当は多言語版の話をしていなくてはいけないのかも、と思いつつMichaelがドイツに行ってしまったことに甘えて毛玉の改良など。めんどくさそうなところをよけてきたが、そろそろ着手せねば。id:propellaな山宮さんが詳しいSmaCCを使うべくお勉強。
車両保険の切り替え
車両保険を、AAAの提供するものに切り替える。最初運転を始めたときは、運転歴がまったくなかったことを理由にInfinity Groupという会社しか引き受けてくれるところがなく、Infinityも僕のことを無謀運転をしそうな高校生のように扱っていたわけである。
数年前に日本でも「リスク細分型保険」という言葉を聞いた覚えがあるが、こちらも相当なリスク細分型である。家のガレージのタイプ、車の盗難警報機の有無、職種、通勤距離、車に積んでいる機器、住所というかエリアによるリスクなどなど。大学の卒業証明書があるとまた割引になるらしいので、あまり開けたくない過去の詰まった箱の中を探って証明書を引っ張り出したり。
それにしても、こっち方面でも2001年に関することは非常に記憶があいまいだな。そもそも稔り薄い年であっただけではなく、言葉の通じない生活で脳への刺激がとっても弱く、またいろんなことを意識から追い出そうとしていた年だったのかも、という仮説を立てたくなる今日この頃である。
European Smalltalk User Group Conference (ESUG)
なんとなく9月頭にドイツに行くような気がしてきました。特にTeachers Dayという日には、いつの間にか毛玉の発表が組み込まれていますし、ドイツの学校でSqueakを使ってみようと思っている人々に会えるのはきっと面白いことでしょう。
http://www.esug.org/conferences/twelfthsmalltalkjointevent2004/esug-teachersday/
ドイツ通のid:sumimな鷲見さんに情報をもらわなくては...
Casa de Ramos
横川さんと、夜に行くのは3年ぶりくらいのCasa de Ramosに行く。例によって巨大ブリトーをいただく。ごちそうさまでした、横川さん。
お客さん
Viewpoints Researchへのお客さん訪問には特異日が時々あるようで、今日はPaulo Drummond、Robert Hirschfeld、そして横川耕二さんの3人がやってきた。
Robertとは前に東京で会ったりもしたし、大学時代の後輩が同じNTT DoCoMo Euro Labで働いていることもあって不意の再会で久闊を叙す、という感じ。PauloはSqueakFestの帰りで、横川さんは未踏のプレ中間発表を兼ねた訪問である。
Robertは例によってAspectの話。Alanからのコメントは、aspectで組み合わせた結果のものがどのように動くのかを見るブラウザが必要だろうとか、inverse operationが与えられると良いとか、Squeakに17種類もあるボタンではtargetは直接指定されてしまっていてtargetのtheoryを与える形になっていないとか。
横川さんのデモを見るのは初めてだった。コメントは、状態遷移図を描くツールがモードレスだと不便だろう、とかいう話から、昔の状態機械エディター、Engelbertの構文解釈器ベースのUIプログラミング。drive-a-carをやっているときでも、どのくらいのことをやったときに本筋と関係ないかを見分けるために、ものの特徴から種類を見分けるシステムなどの話。Watch What I Doを読めとか。
言葉のイメージ喚起力
俳句は一瞬の風景を写真のように切り取ったものと言いますが、これはいわばforward translationですね。それで、その俳句を読んだり聞いたりした人は句が詠まれた情景を頭の中に思い浮かべるわけですが、これは決してbackward translationで元のものに戻るわけではありません、当たり前ですが。
どちらかといえば句としての言葉が、聞き手の頭の中にしまわれているイメージ辞書のゆるい検索キーとなっていて、その検索結果がさらに句の付加的な情報によって修正され、最終的に一枚の写真のようになってくるのでしょう。古池や、といわれてもどんな古池かは五・七・五の中には書かれていませんし、季節だって奥の細道の中での文脈を押さえておかないとわかりませんからね。絵としては別に岩間寺の池を知らなくても、典型的な古池のイメージでよくて、そこに一瞬音として鳴り渡った空間のゆらぎという像が喚起できれば「勝利」ですから。
まあそんなことはどうでも良いわけですが、言葉とそれが喚起するイメージとの関係というのは、プログラム断片とその実行環境との関係にはあまり似ていないな、と。
ちなみに、俳句も詩なので、耳から聞いたときの音楽的美しさも重要です。Haikuは外国語でも作れる、という意見もありといえばありですが、「五・七・五が心地よく響く」というのは日本語ならではなので、外国語で5/7/5音節で作っても本来あるべき音楽的な要素がなくなってしまいます。日本語ラップとか英語オペラとかスワヒリ語カンツォーネとかと同様で。
さらに言えば、白人がラップを歌うのも、魂と言う意味ではおかしな気がするのと同様に、季節感の少ないところで俳句を詠むのは邪道なのかもしれません。本来は季節があってこそのものですからね。僕はその辺は許しますが。月が欠けるのを見てさえ涙できる人々向けの詩形式であることは確かでしょう。
まあどうでもよいんですけど。