毛玉

しばらく前に、毛玉でこういうことがやりたいのだが、という一枚の絵をAlanから受け取ったわけである。この絵では、点々以外にも「大きなやつ」がいて、点々がその大きなやつのところで跳ね返ったりすることが期待されていた。

最近日記を読むとまるでひたすら遊んでばっかりだったようにも見えるが、実は日々早起きして、特に7時から12時とかまでの間「いちおう」働いている振りをしていたのであったのだよ(と自分に言い聞かせる)。雌伏約1ヶ月、ようやくある限定された形での衝突判定ができるようになり、ひとつ別のクラスのいろいろな問題が記述できるようになった。

タイルプログラムの「並列コンパイラ」(大げさだが)もいちおう形になっているので、プリミティブが欲しければfactored outされた配列への処理に対応する小さなものを書けば、ぐいっと速くなるようにもなっている。

いろいろテストして(バグはあると思うけど)、10月頭までに内輪では使えるくらいのレベルにまで持っていこうと思う。

京都

午後からふらふらと。天野喜孝の版画を紹介しているチケットを配っていたので、冷かしで覗いてみる。実は悪名高いArt Vivantだったのだが、京都にもギャラリーがあることを発見。こちらのセールスマンは秋葉原のほうとは違って「売りつけるのは忍びない」という雰囲気を漂わせつつ、絵を見ているだけの人に強引に「ローンでも払えますし、やっぱり絵のある生活は良いですよね」とかいって無理やり引き止めるようなことはしなかった。さすが京都。だが、いきなり「変わった人ですね」という人格攻撃(?)を受けたような気もする。

話変わって、十年一日ということわざはあるが、三十年毎日ということわざはあるのかどうか。

おじばか

みゆさんの策略にはまり、姪っ子を使った営業戦略に対応する。2歳から3歳になろうというところで、本能にまかせたところと人間的なところの混交を無邪気に見せられるところがこの年代なのだなあ。渋谷にある都立の児童館は設備も大分整っていて子供をただで遊ばせるには良いところである。

知り合いが犬を散歩させている時に、この姪っ子は犬と一緒に散歩させてもらったそうである。散歩中、スヌちゃんという犬が飼い主から離れかかったりすると、飼い主は「スヌちゃん、そば!」と言って、側に来るように呼び寄せていた。それを聞いていた姪っ子は、次の日朝起きるなり、「スヌちゃん、ラーメン!」と言ったそうである。

あたりやのとんかつライス

吉正君には「もうつぶれたんだと思いますよ」と言われながらも、そんなはずはないと思って行った5年ぶりくらいのあたりや(どうだね、豊田君)。大盛りはもはやおじさんには多かった。スープの味は昔と同じだったかな。