Daylight Saving Time

今週からアメリカでいわゆる夏時間が始まったこともあり、例によって日本でもまた導入しようと言う論を張っている人がいる。まともな頭をした人なら、「日本に導入しても意味はない」ということを5分くらいで判断して終わりになるような類の話だと思うのだが、なんで大臣までが推進しようとするレベルの議論になるのかいまいち理解できない。

 あまりにも理解できないので放っておくと、本当に成立したりするのだろうかね。村上春樹のdetachment/commitment論ではないが、世の中の馬鹿げたことを「馬鹿げている」と言って無視しようとするのは、結局その馬鹿げたことに加担していることになる場合もあるのだろう。

UCLAと京大の講義(その2)

日本ではまだ新学期が始まっていないので、今日はUCLA側だけ。主に「コンテキストをセットする」ために、集まった学生と向き合ってAlanがしゃべる、というスタイル。

 AlanはMIT Media Labといっしょにやっている100ドルラップトップコンピュータ計画にだいぶん燃えているので、今回の授業のテーマもなぜ教育が重要なのか、と言う授業のテーマについて、いろいろな方向から例を挙げて語っていた。

 世界では子供が毎年1000万人ずつ死んでいるのだが、この問題を解決するためにできることをするべきである、という話。2002年のBioVisionなる生物学の国際会議に参加したが、そこでは世界の大きな問題は何か、と言う話題が出て、飲料水の確保と女性の教育という二つが挙げらていた。子供の死亡率も飲料水の不足から来るものが多い。女性の教育は、「女性が文明の伝達者の役割を果たす」という話だけではなく、出生率と最も相関の高い変数は女性の教育水準なので、人口問題の対処にもなる。

学生からは、100ドルコンピュータを作ることがどのようにこの問題を解くことになるのか、という質問が出た。答えを与える、と言う形ではないがAlanが言ったことを総合すると、"appropriate technology"という概念が重要、ということである。インドの緑の革命はインド政府がとった食糧問題に対する対策であった。最初は西洋風にトラクターを導入して大規模にやろうとしたが、土壌を圧縮してしまってうまくいかないことに気が付いた。馬で鋤を引いてやろうとしたが、馬を育てるのも時間がかかってしまった。そこである人が思いついたのは、芝刈り機に使う二馬力のエンジンを紐でつってそれに鋤を付け、畑の端から端まで動かす、という方法であった。というわけで、発展状況に応じた適切なテクノロジーを考えることは重要である、という話であったと思う。

 いつもの印刷技術とのアナロジーもあった。印刷技術が発明された後も、ページの順番付けは、あるページを前のページの最後の2語を繰り返して始めることによって行われている時期があったが、エラスムスグーテンベルクの発明から65年後に、自分で書いたことを後から参照することによって違った形で論述を行える、と言うことに気が付いて、ページをつけることを思いついた。このように、当たり前のように思えるテクノロジーも、しばしば基盤となる別の技術の発明後大分時間が経たないと生まれない。

印刷術前は、図書館と言うのはフランスの某図書館に372冊蔵書があったり、フィレンツェで一冊ずつ別々の机に鎖でつながれた60冊の蔵書があったり、どこかに142冊あったりなんだりと、そういう規模のものだった(こういう数字が記憶の中からどんどん出てくるところがほとんど西之園萌絵状態なわけである)。

話は戻るが、南アフリカではエイズが大きな問題である。理由の一つは、学生が言ってくれたが政府がHIVが病原体である、と言うことを認めない、ということであり、もう一つは「処女を犯すと病気が治る」という神話を信じている人が多いからである(2番目のやつは僕は知らなかったが、異論はあるもののある程度は事実のようだ)。とにかく教育は重要。

 最後はemergent phenomenonの話題が出た。俺も先日"More is Different"というノーベル賞学者フィリップ・アンダーソンの短い論文(講演録)を教えてもらって読んだのだが、こちらも彼のマイブームのようである。というわけで、毛玉に関する期待を高めて(俺の中だけだけど)木曜日の本番に「続く」ということで終わった。木曜日は毛玉のデモもたくさん出そうな気はする。

お昼

またしてもお昼はMarket City Caffeだった。Alanからまたオルガンに関する熱い語りを聞いてしまったのだが、関連した話がとても興味深かった。

バッハが書いたDas Wohltemperierte Klavierという楽譜集の表紙には、花文字で書かれたタイトルの上にちょっと不規則性のある渦巻きのような模様が描かれている。長い間、ただの模様、いやでも妙に不規則だしなにか意味があるのかも、といろいろ論議があったらしいが、最近ある電気工学者で調律師でもある何とかという人が、実はハープシコードの調律に関する暗号ではないかという仮説を発表したそうである。

2重の渦、1重の渦、0重の丸が連なった模様なのだが、それぞれ1/80オクターブ(?)の平均律からのずれをどの音階に割り振るか、ということ(だかどうだかは僕はよく理解できなかったが)を表しているという仮説だそうだ。この仮説は、ロジックとしても確かそうな上に、この規則に従って調律したハープシコードで実際に演奏するとすばらしく聞こえる、というもっとかっこよい証拠もあるので、相当に確からしいそうである。

 250年前にちょっとした符丁として(たぶん)作曲家が描いた暗号を、今解き明かす人が出たという、音楽的にも数学的にも技術的にもロマンのある話だった。

UCLAと京大の講義

最近冴えないねたが続いていたこの日記だが、今日からまたAlanおよび京大側の先生方による、UCLAと京大をつないだ講義が始まる。またがんばって講義録もどきを作ろうと思います。今日は顔合わせだけで終わりなのではありますが。

毛玉

ビューワで、一つ一つのタートルの様子を見られるようにしようとしている。タートルの番号をなんとなく指定すると、ビューワが見ているものをそっと内部的に切り替えたりするわけだ。思ったよりは、骸骨ごろごろ感は低く、それらしい動作をするようにするところまではできたのだが、一部微妙なところは残っている。

 シンプルに作られたシステムであれば、ユーザー定義のスクリプトもシステム定義のコマンドも、それを実行するためのUIからはまったく同じように操作できて、同じように実行できるべきである。が、どういう歴史的経緯か、黄色いびっくりマークボタンを押したときに呼ばれる#tryというメソッドでは、ユーザー定義のスクリプトはターゲットにメッセージを送信するのだが、システム定義のコマンドの場合は、文字列表現に戻って、そこからコンパイルしなおして実行している。このため、文字列表現を簡単に作れない微妙なオブジェクトの場合は実行できなくなってしまっている。

 むりやりやるか、eToys版の毛玉はこの辺にしておいて明日からはTweak版の開発に気持ちを切り替えるか、微妙なところだな。

 毛玉は作ってみて、細かいところがどうなっているべきかについていろいろ知見が得られたのは確かである。2nd system syndromeに陥らないようにしつつ、Tweak版として良いものをまた世に出したいところだ。

リーグ

 なぜかオープンジムは休んでしまったので、夜のリーグから活動。今日の対戦相手は、強かった。どうやらサブで来ていたらしいアタッカーが強烈に打てるのです。アメリカ人らしからぬ技術も持っていて、ミスなく高い打点からブロックを避けて打ち分けてくる。ブロックに飛んでいても、もうひさびさに「降参します」、と言うようなスパイクを打たれてしまいました。

 それでも、粘りのわがE-Teamはちゃんと接戦に持ち込めるのです。こちらのチームもカズ君の代役にDavidに入ってもらったため、ときどきはびしっというスパイクが打てたこともありますが、僕もそこそこコートの中に入ったときには決まっていました。というわけで、2セット目は下馬評を覆して取ってしまったり。なかなか燃える試合でした。

Peter Sykesのオルガンコンサート

Alanの自宅にあるオルガンが10歳の誕生日を迎えた(名前はGreg Harroldの第14作品(Opus 14))。その記念にオルガン奏者Peter Sykesを迎えてコンサートが執り行われた。明日も同じようなコンサートをするというので今晩の聴衆はちょっと少なめだったが、David SmithやAndreasなども来ていた。OptimistのAlanは「聴衆が少ないほうが音響が良いので良かった」と言っていたが。

 Bonnie & Alanのコンサートには何度も行ったことはあるが、あのオルガンからの音を聞くのは今日が実ははじめてである。オルガンの表現力がとってもあることに実は驚いてしまった。1450本のパイプは、パイプから鳴っているとは思えない音色を部屋一杯に震わせていた。

Buxtehude、Sweelinck、Tunder、Boehmという作曲家の作品も演奏されたが、やっぱりBachのメロディーは素人の私でもわかる気がする。

 プログラムをAlanが作ってくれていて、読み応えある5ページほどのエッセイが載っていた。情熱がひしひしと伝わってくる文章です。

 重要なメッセージとしては、オルガンと言うものは何百年も生き残るものなので、誰も真の意味で所有することはできない。自分も単なる世話係のつもりで、後代に伝えて生きたいと思う、ということであった。

 最後に誕生日ケーキを戴いて、ゆっくり帰った土曜日の夜であった。