法事
昨日の昼に、母方の伯母の訃報が入った。告別式は昨日の今日行われるということで、せっかく日本にいるからにはと早朝から小野田市ならぬ山陽小野田市まで移動。新山口から、山陽本線丸出しの駅が続く。
中規模な製麺食品会社の社長夫人で、自ら社長業をしていた時期もある人である。後進の指導に熱心で、若い人を捕まえては良く説教していたそうである。去年も11月くらいまでは定期的に工場を回って(説教して)いたようだ。式を司ってくれたお坊さんとも交流があったそうである。そのお坊さんも若いころに捕まって、次の法事があるのに「いいからそこへすわっちょれ。がんばらにゃいけんよ」と言われて説教されたそうである。愛のある読経と挨拶と、良い字ばかりの立派な戒名にはそういういきさつがあったようでもある。坊主でもお構いなく説教するのが母方の親戚の一部の人の性格である。
亡くなる前日に「少し調子が悪いからちょっと検査でも」と病院に行き、亡くなる30分くらいまでは話もできていて、ふっと消えるような最期だった由。数えで81歳であり、闘病生活もなく立派な大往生と言えるであろう。
いとこさんたちはちゃきちゃきとした長州もんである。斎場での待機中に、地元多々良学園の高校サッカーの試合が中継されていたのだが、喪主さん(現社長)は多々良学園が同点から2-1と突き放すシュートを決めると手を叩いて喜んでいたり。それでもなくなった母上への愛が軽口の中から感じられるわけではある。
昔ピュアだったころの私は、「参列者はすべからくしめやかに静かに振舞うべし」と思う面もあった。が、大往生であり、長州弁のちゃきちゃき集団であるのだし、遺族が集って楽しくしているのが故人へのはなむけであるに違いない。
夜のうちに東京まで移動することにしたので、ちょっとあわただしく斎場を後にしたのが申し訳なかった。というわけで、1500キロ程度の新幹線(+山陽本線)の旅をした一日です。ネットワークがなかったので論文書きそれなりにできました。
哲学の道
友人グループの御両親はその筋では有名な方々だが、今日はそのお宅での集まりに参加させてもらった。1歳から70近くまで、年齢差70歳くらいのグループで(写真撮影以外は)楽しくソーシャル。
哲学の道という名前は、本来ハイデルベルグ大学の哲学者達がネッカー川沿いの疎水を見下ろす道がオリジナルで、戦時中の京大生たちが、「戦争が終わったらハイデルベルグに行きたいな」という話をしたことから京都版「哲学の道」という名前をつけたそうである。が、某神社の神主さんが、「西田幾多郎などの哲学者が歩いて思索したから」というdispoweredされたバージョンの由来が流布してしまい忸怩たる思いであった、とhttp://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/kyotoaruku/kyo09.html内にある木下さんが語ってくれました。
こまねこ
id:suikanさんのところ経由で知りました。3が日中の心に余裕がある間にどうぞ。ほっこりできます。
http://ent2.excite.co.jp/cinema/feature/komaneko/
http://www.komaneko.com/
紅白歌合戦
もうだいぶ過ぎてしまったことだが、去年の(2日前の)紅白歌合戦には少なくとも2人の防府高校卒業者が出演していたことは特筆に価する、かもしれない。
紅白は、ちょっと無理がありましたね。詰め込みすぎというか。山根アナウンサーがまじめにひとつながりの文として何かを説明しようとしているときにみのもんたが割り込むので、山根さんの顔がむっとしていたりしたし。昔松たか子が「まるで舞台のように」完全にすらすらと司会をしたことがありましたが、別にアドリブ云々とか言わずに完全台本どおりでやるのが紅白らしい気はします。みのもんたの味が生きる番組ではもともとない。
最後のほうで、みのもんたがしゃべっているときに巻きを支持する手が下動いているのが写っていました。NHKのディレクターもカメラマンも、NHKホールという自前のホールで何年もやっているわけなので、どこまで手を伸ばせば写ってしまうのかくらいは判っていたに違いない。「ディレクターの指示に従わずに無駄話をするみのもんた」という構図を演出するために、わざと引き気味にしてああいう絵を作ってみたのではないか、という陰謀論を提示しておきます。
吉永小百合の朗読もちょっと強引でした。二番目に読んだ子供の出産に関する詩は、事実のように受け止められていたらしいですが、当事者が「あれはフィクションだ」と最近申し出た、と聞きました。歌や歌手の紹介をないがしろにしてまでやるほどのことはなかったのでしょう。
深夜NHKでさだまさしの生番組をやっていましたが、「視聴率のことばかり気にしてもしょうがない。まずは作り手が誇りを持てる紅白を作って世に送り出すことが大事で、数字は後から付いて来るんだ」と言っていました。今回のはあまり誇りには思えないものだったのではないでしょうか。