国籍法改正
あまり時事ねたは書かないことにしているのだが、某所でなぜかこのたびの国籍法改正についてやりとりをするはめに。何もわからずに騒いでいる人が多いのがあまりにも明らかだが、ネット上でちょっと見かけた情報を真に受けて、センセーショナルに物事を書く人が多すぎる(というかセンセーショナルに書かない人はそういうところに書いたりしないので、センセーショナルなものだけが出てくるのかもしれないが)。外国人を見たら犯罪者と思っているとしか思えない人や、戦争にでもなったときには問題になるから国籍はとにかく誰にも与えないほうがよいと言い出す人とか、今度東京に大地震でも起きたら、ある種の飛語から後患を残すような事件がおきる空気が醸成されるのではないかと心配してしまうくらいである。
迷惑トラックバックとコメント
日記の間隔があいてしまっています。そうなると同じような迷惑コメントが付くのですよね。そういうところを狙って迷惑コメントを書くのが合理的なのでしょうね。
それにしてもよく似たやつばっかりで、迷惑コメントとして報告するにしているのにフィルタできないのが惜しいですね。
Alexの講演
来週月曜日に、OMetaやWorldsやLazy Javaで有名な私たちの同僚Alex Warthが東工大で講演します。
http://compview.titech.ac.jp/Members/endot/talk-by-dr-alessandro-warth/
お誘いあわせの上ぜひ参加ください。
C5 2009 (二日目の最初のセッション)
まあ私はどちらかと言えば、「別にプレゼンがうまかろうとへたであろうと、モノがしっかりしていれば良いじゃん」といいたいほうではあるのだが、学会でのプレゼンにおいて許される下手さの下限というものはあるだろう。英語力とかではなくて、「手持ちの情報をどうやって目の前でいろいろな反応を示している人にどうやって整理して伝えるか」という当たり前のことなのだが。もう無料コンサルティングを提供しても良いですよ。
- UIよりの話なのに、スクリーンショットをキャプチャーしてPowerPointに張り込んで、「ここを押すとメニューが出てこうなります」というように説明するのはもうやめましょうよ。「強力なものをわざわざ脱力させてより弱いものに張り込む」のはいただけません。
- 「別にプレゼンがうまかろうとへたであろうと、モノがしっかりしていれば良いじゃん」と言えるためには、グラフや数字の扱いに関しては非常に気をつけなくてはなりません。それが「モノ」なのですから。
- せめて、楽しそうに話しましょう。そして、ある程度は聴衆の様子も見てみましょう。
C5 2009 (二日目のその後のセッション)
キーノートは青山友紀先生。多岐にわたる大きなプロジェクトの概要紹介で終わった面があって、いろいろな数字を知ることができたのは良かったが、"pep talk"という感じではなかった。
新しい高解像度デジタル映画の規格などの話があって、縦2048ピクセルの映像という話など、画像の高解像度化はすごいのだが、Nicholas NegroponteがBran Ferrenからの引用として昔書いていたように(http://archives.obs-us.com/obs/english/books/nn/bd40796.htm)、""We need dialog lines, not scan lines."という印象は残るわけではあった。
C5 2009
今年も最初のセッションの座長をおおせつかってしまいました。というか去年のPPLでもいきなりだったのだよな。今年も僕のセッションは面白い発表ばかりで良かったです。
Alanの講演もあったのですが、Computer ScienceおよびComputer Engineeringという言葉は、この日記でも以前から触れられているように、70年代に使い始めたときには「将来的にはScienceやEngineeringという言葉がふさわしい本物の科目にしていきたい」というaspirationだったはずで、今でも本物のScienceやEngineeringと比べるとお粗末なものなのに、やっている人はそういうものがもうあると思ってしまっている、というつかみから、マクルーハンの未来の見方、Mooreの法則でハードウェアは早くなっているはずなのに、ソフトウェアの起動や処理が新しいものほど遅くなっているという逆Mooreの法則、HTMLが90年代になって後から出てきたはずなのに、70年代から存在していたWYSIWYGという概念を考慮することなく一般の人には使いにくいものになっているという例、からSTEPSの根底にある原理の紹介などがされていた。
そして例のouter motivatedとinner motivatedの軸とinstrumentalとideaの軸で、前者は80-20, 後者は95-5くらいの割合になってしまっているので、inner motivatedでideaそのものの意味を考えることができる人は1%もいないという例のやつにつながる。まあ俺は自分で思うにこの1%には入らないが、outer motivatedでideaに興味を持つ「エンジニアっぽいタイプ」ではありたいとは思うものの、実際にはouter motivatedでinstrumentalな「大衆」のところなのではないかという危惧もあるわけである。
最近ちょっとさぼりぎみだったこともあり、STEPSの目標がわかっているはずなのにぜんぜんできていないというがっかり感、おそらくは京大側からの要請だろうがAlanに全部静的なスライドのみでプレゼンをさせてしまったということ、そしてまあ自分は本当に未来を見てないなという喪失感などがあってちょっと打ちのめされる、というか話の後しばらくもう苦笑がとまらない、というような迫力であった。
午後のAran Lunzer (親御さんはなんでAranというつづりにしたんだろうね?)のデモは結構面白かった。横川さんのはいつものようにソフトそのものは細かいところがちょっと気が利いていたり全体のデザインも味があって面白いのだが、プレゼンはいつもの横川さんであった。他の2件はもうちょっと話の筋道考えたほうが良いかと。
それで晩御飯は懇親会なのだが、久しぶりの日本スタイルの懇親会であった。みな食べ物と飲み物を目の前にさらされながらも手をつけることができず、立ったままでお話を45分ほどじりじりと聞かされてからようやく一口すすることが許される、というものである。上で書いた「他の2件」もそうなのだが、もうちょっと人間を相手にしてどういうコミュニケーションを図ればよいのか、ということを考えるほうが良いのではないかね?「お話」は逐次通訳の人が日本語から英語およびその反対向きの訳をしていたのだが、どちら向きのときも5割増しくらいの時間をかけて(どうでも良い話を)訳すので、同じ話を二回聞かされてしかも二回目のほうが不正確で且つ長いという拷問のような状態だし。某吉正のように早めに帰らなくてはならない、という人もいるのに、45分立ちんぼうさせるというのはもう罰ゲームだよ。懇親を深める会なのだから、まず開始と共に飲み物で始めて、宴もたけなわのところで途中のエンターテイメントとして「お話」を入れる、というほうが良いのにね。
丸谷才一のエッセイに「挨拶は大変だ」というものがあったが、「お話」というのはすでに偉い人が自分がどんなに偉かったかということを言う場ではなく、いかに不特定多数の人を楽しませるかという方向で考えてほしいと思う今日この頃です。
某吉正の名前も出たが、彼は健気にもやってきたし、旧ALAN-Kプロジェクト関係のさまざまな人々と久しぶりに会えたのがなかなか感動的ではありました。
それから参加者の方でこれを読んでいて、「大人の集まりのはずなのになぜ幼児が来ているのだ」と思われた方もいるかもしれません。ここに書くのも変かもしれませんが、あの幼児の母親は、故上林先生の秘書を勤めていたので、今回のAlanのテーマである「上林先生への追悼」ということを考えると、仕事で参加していた幼児の父親以上にあの場所にいるのにふさわしい立場ではあったわけです。そもそも、上林先生が彼ら二人を昼ごはんに呼んで、なにやら一万光年くらい遠まわしな形で動物のオスとメスの話をしていった、というのがきっかけでもあるわけですし。まあうるさかったかもしれませんが、こんなことができるのも今だけなのでお許しを。