Mac OS XとEmacsとWanderlust

Bran Ferrenが講演をするときのpunch lineのひとつは、「テクノロジーとは人がそれについて心配しなくてはいけないものである。」と言って椅子を指差し「最初は椅子だって足が1本だったときもあり、座ろうとする人は頭を使わなくてはならなかった。足が2本の椅子が発明されて、少なくとも倒れる方向は制御できるようになった。3本、4本と足が増えて頭を使わなくても座れるものに変わってきたので、人々は椅子のことをテクノロジーだとは思わなくなった」というものです。

Mac OSをアップデートしてstarttlsが動かなくなったり、Meadowがアップデートされなくなっていたり、wanderlustのインストール元が変わったりといろいろなことがあって、私のメール環境もブラウザで動いているGMailにメッセージをちまちま打ち込むという「意識しなくても使える」状態にまで成り下がっていましたが、GMailにカテゴリタブが勝手に導入されたりしたのを気に、「もう一度やり直そう」ということでインストールし直してみました。

Emacshttp://qiita.com/h12o@github/items/0824b0a4fd1eaae67019を元にインラインパッチを当ててインストールします。「ひょっとしたらsuperenv回避の必要はないかもしれません。」のところはひょっとせずに、ちゃんとオプションを指定する必要があります。el-getでwanderlustをインストールしようとしても、cvs.m17n.orgはもう閉鎖されているので入りません。そのため、githubからcloneしてインストールします。そのときにはapel, flim, semiのMakefileでLISPDIR(とEMACS)マクロを書き換える必要があります。starttlsはもう使われず、gnutls-cliが使われるようになっているので、GMailIMAPへの接続、送信もできるようになりました(wlの起動時にエラーが出ますが)。

elscreens.elもlast-command-charをlast-command-eventに書き換えたら動きました。

これでまたコンピュータをテクノロジーとして意識しながら使う環境に戻れました!

OMeta-JS

しばらく仕事に関係ないことばかりかいていましたが、仕事(笑)はしています。FRPの実験も粛々とすすめ、Lively Kernel上で例題もいくつか動いています。

VPRIにはインターンが数人いますが(さらにいつでも募集中です!)、そのうちの一人Long NguyenがOMeta-JSを使っていて、かなり基本的なバグを見つけていました。

リストマッチの機能を使って、以下のようなルールを書きます。意図としては、規則aは、「"x"という文字列だけを要素とするリストだけを要素とするリストにだけマッチする」というものです。

ometa AAA {
   a = [ [ "x" ] ]
}

が、規則aはその他いろいろなものにマッチします。単なる文字列"x"にも、文字列"x"のみからなるリストにもマッチします。

AAA.match("x", "a")
AAA.match(["x"], "a")

これは文字列をリストと同一視し、リストマッチのときにちゃんとチェックしていないということが原因ですが(Squeak版にはこの問題はないです)、なんだか足の下の地面がぽっかりと割れたような気分です。今まで使っていたときはヘッドのみで他の要素のないリストは滅多に使っていなかったので回避できていたのでしょうが。

(追記)
この問題は"x"のところが長さ1の時にのみ起こるのだった。謎過ぎる。

野球観戦

Boston @ Angelsを2家族で観戦。交代中の場内中継でスタンドのあちこちを映しているところで、我々の席からすぐ前に見えるあたりから徐々にこちらに近づいてきた。「頑張って踊っていたら次映るかもしれないぞ」と娘に言ったところでマジで大画面に家族ごと登場。ああ驚いた。私本人は魂を抜かれないように正座して固まっていました(嘘)。

「僕が英語話せないのは日本の教育のせい」

shiroさんの日記経由で:

http://taichino.com/daily-life/daily-life-in-america/4272

「今のところ、どれくらい経てば飲み会で普通に話せるようになるのか、ちょっと想像出来ないです。」

僕の経験では「2年半」でした。

グループ内は非常に発音もきれいで頭の回りも良く、良く気がつくJohn Maloneyという人が唯一のプログラマの同僚で彼がいたために助かりましたが、他のメンバーは皆デザイナーでしたし、Johnも遠隔地の人だったのでまあ境遇は似たりよったりだったでしょう。2年半でそれなりに理解できるようにはなってきたと思いましたが、それでも話題が子供の頃に見たテレビ番組の話になったりして(僕が突然ガンダムネタを話すようなものだ)、アメリカ人の感覚として「アメリカで何度もリピートしているような有名テレビドラマは当然日本でも世界でもみんな見ているだろう」という態度をみることもあるわけではありましたし。これは言うなれば先方の方に「異文化交流のスキルと理解がない」と言うことだったとは思いますが、そういうことを言ってもしょうがないし、つまり英語がしゃべれるかどうかとそういうスキルとは関係は比較的薄いわけです。

でも、他のコメントを残している人と同様に、これを日本の英語教育の問題にしてもしょうがないと思いますね。英語教育があったから文献が読めてその世界に身を投じることができているわけですし。