Euro 2004

希望的観測を持ってFigoの花道を飾ってもらうべくポルトガルの勝ちを予想しておいたのですが、冷静に後を振り返って考えれば有無を言わさぬような決定力がない以上、ギリシャの固い固いディフェンスの前には0で終わるのは無理もないかな、と言う感じでしたね。

後半そろそろいやな時間だな、と言うところでコーナーから見事叩き込んだ時点でもう優勢がちだったかもしれません。

ギリシャのキーパーはDaily Bugle(Spider-Man)の編集長に似ているな。

USA 94のワールドカップにも出ていたわけですが、あの時は完全に観光旅行でなにもすることなく3試合負けてさっさと帰って行ってました。が、今はプレイヤーの技術もばっちりありますし、徹底的な固さが加わっていますよね。

その他

日記などに書いててしょうがないわけではありますが、http://www.globe-walkers.com/ohnoの大野和基なる人の書いたものを読むと、世の中でたらめ書いても結構許される(お金を払って読むものだとみなされる、という意味で許される)もんだよな、と思いますね。

アジアの他の国からも嫌われている上に、日本が片思いであるアメリカからはどうでもいい国であると思われている。ビジネスに関係しない限り、日本のことを心から好きである白人は異常だと言われるほど、白人からみると日本はどうでもいい国であるらしい。

アジアの他の国から嫌われている、というのもあまりにも大雑把ですし、アメリカからはどうでもいい国であると思われている、というのもなんだかなあ?山宮さんの日記でも読んだらどうですか?という感じですね。

どうでもよいと思われていると思いたい、と言う視点で見るとアメリカも内向きな国ですからそういう風にも見えますが、そのときは「アメリカからはどの国もどうでも良い国であると思われている」、という視点は欠かせないでしょう。

サミュエル・ハンティントンの「文明の衝突」をあんまり持ち上げるのはどうかとも思いますし。十字軍の再興をサポートしたいのかな?

「独占」とか「18年」とか触れているところを見ると自己顕示欲が強そうな人ではありますね。そういう押しの強い人じゃないと生きていけない世界だろうとは思いますのでそれ自身は悪いことではないのかもしれませんが。

その他

ぜんぜん話は変わりますが、5-7年くらい前に、朝日新聞に連載のコラムを持っていた渡辺某なる人が日米の野球の比較をして曰く、「日本では1回からランナーが出るとバントするがアメリカではそんなつまらない野球はしない」とか「日本ではバントを成功させたりすると『良い仕事をした』と仕事であるかのように言うが、アメリカでは野球はあくまでもプレイする(遊ぶ)ものなので仕事とはいわない」とか、まったくもって噴飯物の文を書いていたりしたことがありました。

どのくらい噴飯物かと言うと、ヤンキースでさえも相手ピッチャーがエース級のときは初回からバントをするときもありますし、アメリカでもバントを決めたら"good job"なわけですので、この人は何にも知らないで勝手な希望に基づいて日本の野球をけなしたかっただけなんですけどね。

それでもしばらく連載は続いていたので、世の中そういうものなのかと思ったことがありましたとさ。

サッカーでは国ごとにプレースタイルが違うのは当たり前なので、同じルール内でやっている限りたいていのことは許されるのですが、野球だとやっぱりアメリカのやっているやり方が正しくて、日本のはいんちきだ、という認識があるのでしょう。

これは誰が言っていたか忘れましたが、日本の野球選手はみんな型にはまったスイングや投げ方だが、アメリカの選手はそれぞれ自分にあったやり方を工夫して、個性あるフォームでやっている、という前振りの後で、社会性や国民性についてひとくさりするというストーリーが良くありました。一方、野茂やイチローがし出場している試合の放送で、「こんな変わったフォームのままアメリカの学校などでやろうとしていたら、周りの大人が寄ってたかって『そういうフォームではだめだ』と直そうとしていただろうね」というコメンテーターの言葉を聞いたこともあります。世の中そういうものですね。