お話
日本人Squeakerの一部の人々とSkypeして、とある人々とも電話で話して、その後はeToysチームの電話会議。まだ10時前なのにずっと話しているような。
ベジタリアンのThanksgivingなら、ネイティブアメリカンの伝統的食べ物でもあり、みんなが良く食べるものでもあるサーモンを使った料理でも良いのではという意見に対して、3日間置いたサーモン料理は誰も食べたくないよね、というコメント。これは正しいかも。
id:io_oiさんにもコメント
http://d.hatena.ne.jp/io_oi/20041124
リテラル数の上限は昔(99年ごろ)はもっと小さかったのですが、Danが自分の書いたコードがその上限に引っかかったときにようやく引き上げられました。僕もときどき引っかかってましたが、最近は無事ですね。
ハッシュは12ビットですが、辞書に入れない限りはあまり必要はない、という説はあるんですよね。Ole Agesenが昔(違うシステムで)やっていたやり方は、#hashが送られる前までは何もしないけど、送られた時点で自分自身の32ビットアドレス値をhash値として返し(そのままではなくなんか演算していたんでしょうね、きっと)、以降はそれを別の領域にしまっておく、というものでした。こっちのほうが複雑だけど大きな範囲の値が使えるしその割にはlazyにやるので良いのですが、Squeakのsimplicityを追求する美学にはちょっとあわないです。
12ビットはいかんせん狭い、というのは確かではあります。
id:y-fukutaさんにもコメント
Alan Kay自身は別に「コンピュータだけでなんでもやる」とは言ってないんですけどね。物理の勉強に使うときなどは、「コンピュータだけでは嘘がつけてしまうので、現実世界とつなげて試さなくてはいけない」とも言ってますし。
いつもの印刷術との関連で言えば、人の書いたものを読んで摂取するだけではなく、本という形態が新たな議論の方法を生み出したというようなアナロジーがありますが、コンピュータを道具の一つとして使って、子供たちが情報を摂取するだけではなくconstructivism的に「作って学ぶ」というスタイルになると、新たな思考の方法が生まれるだろう、というような話だと思われます。
(エフ氏さんとAlanとはパイプオルガンつながりがありますね。)
id:LOBOさんにもコメント
http://d.hatena.ne.jp/LOBO/20041123
「アラン・ケイ」と言わなければ納得の行く話なのですが^^;、Alanはハードウェアもできる一方、ソフトウェアに関してはエンジニアリングに属する領域はあんまりやらないので(つまりSmalltalkもSqueakも、動くようにするところはDanみたいな人がやる)、ソフトウェア、ハードウェアという軸と身体性のあるなしという軸とを重ねようとするときの例として持ってくるには適さないと思います。
でも、コンピュータの進歩が遅々としているというのは確かですよね。京都で聞いたJohn McCarthyの話も、「未だにこんなこともできてないのか」と思わされる話がぞろぞろと出てきていましたし、"Old Timers"にとっては特にがっかり感があるのだろうと思います。
id:t-hinohataさんにもコメント
http://d.hatena.ne.jp/t-hinohata/20041115#p1
Alanの話で一番大事だったところは「一番笑ったことはなんでしたか」という質問への答えだったのかも知れません。
はてなではないが五十嵐健夫さんにもコメント
http://www-ui.is.s.u-tokyo.ac.jp/~takeo/diary/diary.htmlの11月12日のところの、「普通人の感想としては、みんながみんな科学者になるわけでもないし、先生が全員そんなに高尚な考えをもって実践できる能力がある(持つようになる)とは思えないので、なかなかアランケイの理想とする教育が広まるのは難しいのではないかなあと。 」というところですが、http://it.nikkei.co.jp/it/column/zensen.cfm?i=20041117c7000c7でさえも触れているように「研究者になるために学ぶわけでもない」ということと、その時代の「普通」の先生が、それなりのカリキュラムに則ってやれば一応教えられるようになるようにするという、世紀単位の問題のとっかかりをやっているのだ、というあたりで、よろしくお願いします。読み書きそのものが最初は新しいもので、読み書きも「別にみんなが覚える必要はない」という時代もあったわけですから。