某映画プロデューサーとAlanとKimとLanceとでお昼。Robert Heinleinの話が出たが、Alanは本当に写真的に本の内容を記憶しているわけなので、どんどん引用が出てくる。俺も全部(矢野徹訳で)読んだけど、言われてそうだったかなあと思い出すのがやっとである。Heinline は一日40フィートくらいテレタイプで執筆してジュブナイルと一般向けとを同時に書いたりして、年のうち3ヶ月働き、残りの9ヶ月は旅行していたそうである。Alanが訪問した翌年くらいに作風ががらっと変わったが、そのころ某体調の変化があった。家のピアノで空軍のなんらかの曲を演奏してあげたそうである(というのはAlanがまだ20歳ごろのこと)。そのときの家が数年後に書かれた小説に出てきた家とそっくりだったそうである。

UCLAの授業

京都側はお休みではないのだが、今日はそれぞれローカルでやった。Javaの遅延評価処理系LazyJ (http://www.cs.ucla.edu/~awarth/lazyj/)を作ったAlexは、"look like"できれいに書いた論理回路シミュレーションをSqueak eToysで作ってデモしてくれた。

Alanがその後がんがん話をした。面白かったね。Alanプリンストンの数学科に行くことも考えていたそうな。John McCarthyもMinskyプリンストンの数学科だったこともあり。もちろんファインマンプリンストンだった。Feynmanの「ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)」あるように、学生は授業はいくら休んでも良いが、週何回かあるお茶会には絶対に出なくてはならない。Marvinによれば、これはあくまでも大学院生のためであり、偉い先生達(super achievers)といろいろな話をすることによって、「ちょっと成長した自分たちのパーソナリティを備えていた人を見習う」ことができるが、なによりも「偉い人々もそれぞれみな『スタイル』が違う」ということを見ることによって、「スタイルは違っても良いのだ」ということを強く印象付ける効果がある。

日本は多くの文化を共存させて、それでも日本人であることを忘れないでいる。文化の豊かさは世界一だと言える(前一緒に京都の錦小路を歩いていたときも、BGMに流れていたベートベンのラジオを聴いて「ほらね」という感じで言っていたが)。他の国に行くのは視点を豊かにする一番の方法である。

「もしあなたが部屋の中で一番賢い人だとしたら、あなたは間違った部屋にいる」と言う言葉がある。良いコミュニティでは、誰も一番賢い人がいない、という状況になる。PARCでも週に一度は全員が集まって話をする会があった。数時間で終わることもあれば、朝の4時まで話したこともある。PDP-10クローンを作ってしまうか、会社が言うようにXerox Sigma-7を使うかというような決定もあった。Ericのお父さんが多大な貢献をして、PDP-10クローンはクラッシュしないくらいちゃんと動いた。最初のICメモリーを持ったコンピュータも作った。

Butler Lampsonが言った、「100人のユーザーを想定しないようなものには力を割くべきではない」と言う言葉が魔法の効果をもたらした。最初は、「研究なのだから一台だけが実験的に動けばよいのではないか」という抵抗もあったが、Butlerは議論になったら激しい言葉を使わなくても相手を完膚なきまでに叩きのめすことができる人だった。が、結局は実験機も、複製を作ることを考えて作ると安定性が増し、すぐに複数の人が使えるようになるので効率が良かった。ネットワークも安定して稼動した。技術の飛躍的な進歩を生んだ強力な概念だった。