京都賞記念講演会

一般の人として聴講。ハイルマイヤーもレヴィンもアーノンクールも、人生の成功者としてのオーラを持っているように思った。まず興味深かったのは、ハイルマイヤーもレヴィンも進む道を選ぶ自由を得たという運について言及していた。

僕も某所でそういうことを言ったのだが、インタビューしていた人は「良いストーリー」を求めてしまうようで、「(アメリカで有名な人と働いているのは)運が良かったから」と僕が本心から言っても、なんだか謙遜しているだけだと取られてしまったようでもあった。僕は別に成功した人でもないし何しろそういうことを考えるには若すぎるとは思うが、やはり運と言うかめぐり合わせというか「成功は偶然、失敗は必然」というか、そういうものではあると思われる。

それはともかく、ハイルマイヤーはRCAで液晶ディスプレイを作った人。TIでDLPまでやっていたとは知らなかった。

レヴィンは、かなり凝った絵を使ったスライドをたくさん出していて、一歩間違えば会場大うけで最高の講演、というようなものにできる予感を感じさせる内容ではあった。が、もしかしたら根がまじめすぎる人なのか、ことごとくギャグが流れてしまっていたように思う。最初にぼそっと日本語で挨拶した(ように思う)のだが、マイクにしっかり入っていなくてだれもギャグとは思わない、という感じだったし(私はそういうギャグも好きなのでくすっと心の中で笑ってあげたが)。それとも同時通訳の人が悪かったのかね?「80年代1ヶ月ほど家族で日本に滞在して研究したのだが、そのときに日本人の同僚と、日本語で講演ができるように準備していった。が、聴衆の皆がほっとしたのは、英語に戻したときだった」というのも、英語的語順だと落ちが最後に来てちょっとは面白いのだが、同時通訳の人がなんと言っていたのかは知らん。ジョークはいろいろと国境を越えず。

アーノンクールも激動の人生におけるオプティミスティックな生きかたを語ってくれていた。奥さんといろいろな演奏を共にこなしてきた同志、という面も感じられて良し。