愛ルケ
渡辺淳一の怪作(というか○作)「愛の流刑地」を、新聞連載中から笑い倒した「にっけいしんぶん新聞」というブログがありますが、なんと著者本人のブログからリンクされています。連載当時も、小説中の間違いを指摘され後の回でそっと修正されていたりすることもあったため、「これはもしや渡辺淳一本人も目を通しているのでは」という疑惑はあったわけですが、今やあからさまにリンクですからね。何事も融通無碍になるのが良い、ということかもしれません。
http://watanabe-junichi.net/
http://ameblo.jp/nikkeiyokyom/day-20060529.html
分析
http://d.hatena.ne.jp/propella/20060617/p1のコメント欄を分析している人がいる。
http://www.soulhack.net/diary/cur/cur.html#0620。僕のは一応本文へのコメントですよ。(仕事の付き合いがあるからよいしょされていたのか、俺は!)
観念的NASA
僕の畏姉(なんて言葉あるのか?)は、若いころ(中学生のころか?)「パリとロンドン、どっちがフランス?」(いや、もしかしたら「パリとフランス、どっちがロンドン?」だったかな)という尊敬すべき言葉を吐いたことがある。今思うと、当時の彼女にとっては「ヨーロッパ」というのはどこか遠くにあるなんだかわからないけどハイソなものという「観念的ヨーロッパ」であったわけだ。実際に広がりを持った土地で、そこには自分の足で立って動き回って泣いたり笑ったりしている人もいる、というようなことは捨象されてしまったような。
というような前振りはほとんど関係ないのだが、「NASA」あるいは「アメリカ」というものも、ある種の人にとっては「ものすごい力とあくどい知性を持って秘密裡に世界を動かせる一枚板の顔のない組織」という「観念的NASA」や「観念的アメリカ」だったりするのかもしれない。だから、そういう組織が何かを嘘を付き通そうという観念的意思を持った場合は、世界をあっさりと欺いてその嘘を保持できるのだ、という考えに無理を感じない。
もちろん、NASAといえども、当たり前の広がりやばらつきを持った人間達が作り出した組織のひとつでしかないわけである。そこに勤めている人もレイオフされれば腹も立つし、目立てばうれしいし、面白い仕事は一生懸命やるし、というような。
現実世界とつながったいろいろな視点を持つ手っ取り早い方法は、やっぱりあちこちの土地を踏み、そこの人と交流することであると思う。世の中どんなことが違い、どんなことが同じであるかを知ると、観念的なだけではない想像力を持って他のことがらが見えてくる。
まあ、アメリカという国は他の国と比べても成り立ちそのものが観念的だから、アメリカだけを見ている人の思考パターンに強い観念性を感じるときもあるが。NASAならぬNSAのやっている(らしい)ことを見ると、これは観念的国家の人にのみ思いつくことだよなあ、と思ったりはするけどね。まあそこにいる人も約一名は知っているけど。あと、またまた関係ないが、Clintonの地元アーカンソー州Little Rockのメジャーなローカル新聞には、「国際面」はないそうである。
というわけで、落ちはない。