後悔

コンピュータがクラッシュしたこともあって思考がネガティブなほうに触れたのかもしれないが、昨日の某取材のことを思うと徐々に腹が立ってきて夜も眠れない、というような感じになっている俺である(もう夜3時だ)。アップロードするかどうかはわからないが(多分するだろうが)、勢いに任せて書き付けてみることにする。

TVの人は、Viewpoints Researchで日本人が我が物顔にうろついていることを想定していなかったのかも知れないな。連絡窓口はずっと(当然ながら)Kimだったわけだし。最初に予定しない形で顔を会わせたときに名前を名乗り損なってついそのまま、という不幸な行き違いだったのかもしれないが(それでも俺はその場で「こんにちは、大島です」と日本語で言ったんだけどな)、仕事上の関係ではるばるやってきて(頼んだわけでもないのに向こうがやってきたわけだ)、その後現場になって部屋のことなど聞きたいことが出てきたときに、「あの、ちょっとそこの人」という感じになるくらいだったら、名前くらい名乗ったらどうなのかなとも思うわけである。今でも俺はこの人たちの名前を知らないままだし、向こうの人は別に知る必要もないと思っていることだろう。TVの人だから、周りの人が喜んで手足のように働くのが当たり前だと思っている可能性は大いにありそうな雰囲気もあったが。向こうの人はなんと失礼なやつだ、と俺のことを思ってんのかな。

昨日撮った偽の「Squeakミーティング」の場面でも、だいたいそういう感じだったわけである。員数確保のために借り出されたはずのMiguelとKimでAlanを挟んで、「ちょっとそこの人、外側に座ってください」と言われてしまうわけだから。なにがいやだったかといって、偽物だとわかっていながらも、カメラが向いていると成り行き上ついつい「期待されている振る舞い」というやつをやってしまう俺が一番いやだよな。「もう結構です」といって枠の外にそっと消えてしまいたかったのだが、AlanやKimは「世界の人が集ったチームという雰囲気を撮りたいだろう」と思っていたみたいでもあったので、小市民的についついつまらない方の行動をとってしまった俺である。あー自分に腹立つ。

TVに対する偏見かもしれないが、やっぱり日本のテレビでは研究とかの分野における白人至上主義みたいなものを持っているとも思うし、そういう世界を見慣れている一般の視聴者の方々も、この偽ミーティングの様子を見たら、きっと「おお、日本人が混ざってんのか」というちょっとした違和感は覚えることだろうし(気のせい?)。そういう違和感を消して行きたい、という思いもあって(本当だ)、別に混ざってたってよいじゃんかという秘めたメッセージを送るために紛れ込んでいようかなと思ったわけではあるが、後から思うと俺はいなかったことにして、「視聴者の期待する絵を提供しているだけだから」という形での幻想の強化帰還でもやってもらっておいたほうが良かったかもと思ったりする。

そもそも「世界をよりよいところにしたい」と思ったときに、テレビというのは差し引きするとその目標に反する存在である、という認識は拭えないので、なぜそんなものに協力しなくちゃいけないのだ、と思ってもしまうし。ドキュメンタリーとかは差し引きするとTV界の中では良いもののほうだとは思うものの、「嘘とホント」のスペクトラムで見ると、スポーツ中継とかが大分ホントのほうに近くてWWEやsitcomが嘘と見抜けるように作られた嘘であるときに、ドキュメンタリーはホントっぽく見せた嘘に過ぎないので、罪は重いという気もするし。

大手TV局の名前を出したりはするものの、実際はそこの人なわけでもなく外部プロダクションの人なのだから、「消防署のほうから来ました」っていうようなもんじゃん。人間としても軽薄すぎるんだよな。「いろいろな人にインタビューしてきたんだよ」と言うことをいうときに、「いろいろな人にインタビューしたことがあるんだから、俺はお前よりえらいんだぞ」というにおいを漂わせるのはやめたほうが良いと思うけど(妄想かもしれんが)。

やせ我慢でも良いから、卑屈にはなりたくないよな、という信条とは大分反する結果になってしまった一日であった。ディスクも飛んだし。あーあ。文字メディアの人はある程度見てきたこともあるが、TV系の人を実際目にするのは初めてだったので、今後はもうちょっと考えよう。