うそつき国の人。中庸の徳。

正直国の人に、「あなたはうそつきですか」と聞いたら、「いいえ」と答えます。うそつき国の人に同じことを聞いても「いいえ」と答えます。つまりこの単純化された世界では、自分は正直者だと主張する人しかいません。これは良く知られた話。

さて、ここに「物事、バランスを取って中くらいの道をとるのが正解なんです」という中庸主義者と、「物事、利得を最大にできるのは極端に走ったときなのだ」という極端主義者がいます。

極端主義者は言いました。
「中庸主義者さん、中庸の道を説く、ということは、あるひとつの考え方が絶対に正しいというような極端な考え方に走ってはいけないということだよな。」
中庸主義者は答えます。
「そうですよ。物事バランスが肝心なのです。」
極端主義者は
「つまりなんでも中くらいの道をとるのが絶対に正しいわけではなく、時には極端に走るべきだ、ということだよな。バランスを取る、ということは。」

というようなやりとりを、ウクライナの大統領選の話を聞いて思いました。

大学に入ってすぐの数学の授業で「定義域の限られた線形関数がいくつかある場合、それらの関数を線形和して作った関数の最大値および最小値は、定義域の両端にある。」という定理があったような気がします。それらの線形関数をなんらかの利得関数だと思うと、利得を最大にしたい場合は定義域のはじっこまでいくのが正しいということですね。

大統領選の対立候補には「手を出さない」あるいは「確実に暗殺する」というどちらかの作戦で立ち向かうべきで、「毒を盛ったけどぴんぴん生きている」というような状況は最悪だなあと。

「作戦」に限らず「設計」とかでもこの話は適用できるかなあと。

とかながなが書きましたが、要は「ウクライナ大統領選。毒食わば皿まで。」とだけでも書いておけば良かったわけですね。