鳥と鳥の巣

最近ちょっとだけPiagetの本なぞを紐解いています。子どもが発達段階に応じてどう学ぶか、という話なのですが、平たく言ってしまえば「物を組み合わせるとどうなるか」という戦略のようなものを学ぶようになるのはいつか、というような話ですね。

Piagetの本では変換の合成ということで群論を持ち出して説明していますが、中学時代の理科の教科書に載っていたような気のする例としてはこんなやつがありました。一方が開いた檻の中に動物を入れて、ふさがっているほうの外側にえさを置いたとき、一度はえさから遠ざかって開いているところから外に出るだけの知恵は鶏にはないわけです。

 こちらはPiagetの本に書いてあることではありませんが、鳥が巣を作って、それを完成させてえさをとりに行っている間に巣を壊すと、戻ってきた鳥はえさを持っていたことを忘れて巣を作り直すそうです。それで、巣を作り直すともう一度えさをとりに行くわけですが、その間にまた巣を壊すとまたやりなおします。このサイクルは100回でも繰り返せるそうです。要は現在の状況というパターンから次に何をすべきかを求める、という深さ1のパターンマッチングしかできないわけです。

 人間も小さいときはこのような感じですが、だんだん成長していきます。

が子どもの成長はそんなに速いわけでもなくて、例えばAlanいわく、Logoでいろいろな機能を教えるとき、9歳、10歳くらいの子どもでも2時間半くらい学べば、300くらいの機能の一つを使えば解けるような問題を与えると、多くの子が応えられるようになりますが、もしその問題が二つの機能を組み合わせて行わないと解決できないようなものであると、ちゃんと答えが出せるのはごくごく限られた子だけになると。11歳くらいからだんだん戦略がわかってくる、という面があるようです。

 というわけで、パターンを覚えないといけない年代もある、という言い方はできるかもしれませんね。

 ただ、古代エジプト(?)の分数の計算みたいに、法則も何もなく、分数の掛け算の用例だけを手引書に書いておいて、計算者の仕事はその中から適用できるやつを引っ張ってきて適用して結果を求める、とか言うのだと算数の楽しさは失われてしまうわけです。ここはつらいところ。楽しさ、美しさは教えたいですね。

 むちゃくちゃ取りとめもないですが、今日お昼御飯を食べながら話していて聞いたことと考えたことです。