再びPowerPoint

またしても、はやりに乗ってPowerPoint批判なぞ。

PowerPointそのものの問題以外にも、このようなツールを見たときに、それを見た人間のほうで「プレゼンテーションとは何か」というものの考え方が規定されてしまうという問題があるのだよな。

何らかのイベントがあるときに、「あらかじめ数日前にPowerPointの資料を送っておいてください。当日は印刷したものを参加者に配布します」という通知が来ることがある。これは、発表する内容はずっと前に決まっており、かつ内容は静的なものに決まっている、という観念があるわけなんだよな。学会などであれば、前のセッションで聞いた話を取り込んで、発表前にスライドを改良したりするべきだと思うのだが。まあ発表する内容をあらかじめ相談して決めて、それから変更するにはグループの人と相談しないといけない人々もいるのだろう。動的な内容がない、というのはいわずもがなだ。印刷したものを配りたがるということは、「読めば判る」ことを話すことを期待されているということでもある。

発表を円滑にするために一台のパソコンにpptファイルを集めておいて一気にやろう、ということもしばしば行われるのだが、やれムービーファイルをコピーし忘れただとか、PowerPointのバージョンが違って表示が崩れるとか、なかなか本当にスムーズには行かないわけではある。質疑応答の間にでもパソコンをつなぎ変えながらやるほうが、発表者もやりやすいこともあるのにね。