祇園祭

街には顔があり雰囲気がある。京都の街は小さくて重層的に深く、アジアのエネルギーと滑らかな落ち着きを持つ。祇園祭はそのような街の祝祭である。

僕は自称書斎派でハレの場に出ることを恐れる気持ちがある。だが、この街そして人にはハレの場を自然に楽しめる血が流れていて、さすらい人でもその中に溶け込んでみたくなる。

今日は宵々々山でまだまだ祭りの初日である。それでも山鉾が通りのあちこちにそびえ、空間を演出する。その山鉾は古く新しい。

夜はまた違った顔である。魔に会う時を過ぎても魔が残り、ごみごみとした現代都市の中を漂っている(ところもある)。