進化論と神学論争

本当にまだやっているんですよね。

今日のNew York Timesに載っていたのは、
http://www.nytimes.com/aponline/national/AP-Evolution-Stickers.html
というやつ。かいつまんで言うと、ジョージア州Cobb郡の学校で使う理科の教科書に

"This textbook contains material on evolution. Evolution is a theory, not a fact, regarding the origin of living things. This material should be approached with an open mind, studied carefully, and critically considered."
(進化論は理論であって事実とは限らない。この教材は開かれた心で、慎重に、鵜呑みにしないで扱わなくてはならない)

という小さな但し書きがずっと書いてあったのを、科学者たちが「これを取り除け」と州に訴えていたのが認められて、裁判所が取り除くようにという判決を下した、というもの。

訴えていた側(?)の、大学教授で"chairman of Georgia Citizens for Integrity in Science Education"(科学教育の一貫性のためのジョージア市民)という"Benjamin Z. Freed"さんが「科学教育にとって勝利だ」と言っているのを見ると、もう何がなんだかわからなくなります。Theoryという言葉に関する混乱もあるけど、科学ということに関する根本的な理解の違いはこうまで乗り越えにくいものなのか。

進化論に限らず、科学を謳う教科書であればどれでもどんな題材であっても、「xxxは理論であって事実とは限らない。...開かれた心で...」ということを念頭に置いて扱うべきだ、ということそこが科学なのではないのかね。科学者たちはこの文言をすべての教科書につけるように、という訴えを起こしても良いくらいなのに。

 僕の眼から見ると、カール・セーガンのような素晴らしい人も、キリスト教原理主義的な人々との論争で消耗させられてしまって時間を無駄にしたなあと思いますが、今でもこのような壮大な無駄な議論がえんえん続いているわけです。

というような話を同僚と交わした朝でした。