Wikimania 2006

(ちなみに、昨日のところに「その2」というやつを書き足しました。)

今年のWikimaniaの参加者は480人くらいで、100ヵ国以上と言っていたような気がするのだが、人数のほうはともかく、国の数のほうは本当かね?

Mitch KaporはLotus 123を作った人。disc jockeyをしたり、瞑想の師匠をしたりもした。...という話があったのだが、BlogよりもWikiのほうがより対話的で、同等の他者を仮定して書くようになるからよい、というような話から、その後は政治の話にどんどん移ってしまい、質疑も政治談議みたいになってしまっていた。

小部会での発表は、proxyでwikipediaの内容をダウンコンバートし、PDAなどで表示しやすくした、という話などもあったが、まあぱっとせず。他にはAdam Curry問題、Swiftboat問題、Siegenthaler問題などで、嵐のような編集がどのように起こってどのように消えていったかを概括したものなど。文系テイストがかなりある集まりなので、Wikipediaの精神を象徴する"Neutral Point of View"という言葉のNeutralがどのような定義と見るべきなのかという、やや形而上的に近づきつつもなんとか踏みとどまっていたような発表もあり。「中立とは結果ではなく、中立であろうとするプロセスのことである」というのはまずわかる話ではあるが、途中に出てきた定義っぽい文章で、「sportsman-likeな態度」という文言を使ってしまっているのは、定義のほうにより複雑な概念を導入してしまっていたような気もする。

WikiMedia Foundationのボードに対する質問セッション。Angelaという人は今期限りで辞めてしまうらしいのだが、どうやらコミュニティの協調的な態度が失われつつあり、それはもう戻らないのだ、という発言をどこかでしたらしい。それに対して、あういう発言をして、その後数ヶ月ボードに居残るくらいなら、発言した時点で後任をすぐ探してすぐやめるべきだったのでは?という質問があったり。あほか。中国の参加者が「中国語版Wikipediaは現在完全にブロックされているのだが、WMFとしてなにかできることはないのか?」という質問をしていたりした。Jimboの受け答えは(何もできない立場にいる人としては)非常に上手だったね。「少なくともブロックが解けるのが遅くなるような行動は取らないし、香港に10月(?)に行くときに、現地でいろいろな人となるべくたくさん話して解決を模索したい」というような返答だった。後は、英語がどうしても支配的な言語になってしまうのをどうするかとか。Neutral Point of Viewよりは、Respectful Points of Viewというようにしたほうが良いのでは、という質問に対しては、「いや、NPOVというを皆に共有された意識としてみたとき、すでにRespectfulという概念も入っているようになっているし、言葉を変えてもその言葉がまた別の悪い含意を持つようになるかもしれないので変えることはないだろう」との答え。うーん、上手だ。

このセッションのときに感じたのは、皆ある意味ものすごくユートピアン的だということである。素晴らしい未来を共に作っているという感覚を共有している感じがする。

お昼ごはん中に、同席の人にまた毛玉をデモしてしまったり。世の中、eToysみたいなものは見たことない人が多いのだよな。進歩の事実と幻想。

それとは別に思い出したのだが、道具が思考様式の規定をする、という例の話のことである。会議中にラップトップを使っている人々を後ろから見ていると、多くの人はWikipediaの画面を見つつ、discussion欄を通じて会話をし、質問などで話に使う例として(まあ当たり前だが)Wikipedia上の記事を引用しつつ話すように見える。熱くなりかけた議論のときにも多くの人はNPOVを気にしていて「だが一方では...」という論法をからそれほど熱くはならない感じがする。また、コードが書ける人は、MediaWikiを書き換えて新しい機能を加えているが、これは彼らにとっては思考様式の拡張なのであろう。こうやって、Wikipediaの環境と文脈で物事を考えるようになった人のことをWikipedianと呼ぶのかもしれないと思ったりした午後であった。この考えを進めると、彼らにとってはWikipediaがコンピュータ環境そのものになるべきである。例えば、BrowserのなかでWikipediaと親和性の高いemailクライアントが書かれたり、Wikiっぽいマークアップワープロが使えるようになったりすれば、Wikipedia.org上だけで暮らせるようになる。これは一考の価値ある方向性かも。

会議の締めは、David Weinbergerによる講演。これが今回の講演の中で最も面白く、示唆的でもあった。皆、耳をかっぽじってよーく聞け。じゃなくて読め。

まずは、Lessigの特長ある発表スタイルをパロって、ちょっとダサいフォントを使い、言っている事とは違う文字を出してギャグにしたり、駄じゃれにしたりと大盛り上がり。そして本題。

2,500年かこの方、知識というものには7つの固い感じの概念がまとわりついていた。単数のKnowerがいて、単数のKnowledgeがあってそれが脳の中に入ってKnownとなる。というモデルに基づいていたわけである。

1. 知識は脳の中にある。
2. 知識は(ひとつひとつは)単純で、正しいか間違っているかのどちらかである。
3. りんごは誰にとっても赤い。
4. 知識は、それが説明しようとしている世界そのものよりも単純である。
5. 多くの事柄は、知識とはなりえない。
6. 組織化されている。例えば階f層化され分類できるように。
7. 我々自身よりも大きなものである。

知識に関する概念もまた、現実世界を反映した鏡である。本という物理的存在があったとき、カバーとカバーの間にあるのはなんなのだろうか。図書館には何万冊も本があって、何段もの棚が何回にも分かれて置かれている。ある本の中に他の本への参照があるとき、いったいどうすればよいのか。階段を上り下りし棚の中の本を見つけなくてはならない。つまり、アイディアをカバーとカバーの間に挟まなくてはいけない、ということによって、2つのアイディアを結びつけることが難しくなってしまっている。

Harvardには、蚊の標本がたくさん保存されている。1869年に発見されたこの蚊の標本にはいくつかのラベルがシシカバブの串刺しのように刺さっているが、その中のひとつは赤いもので、数字がひとつ書かれている。これは、この標本が新種を発見したときのその個体である、という意味である。この番号を見たら、150年前に手書きされた(文系なので数字は概数である)ノートを参照して、その蚊に関する情報を書いた本(ページ?)を調べ、本を探さないと、その蚊に関する情報が得られない。知識は頭の中にあるのではない。現実世界を映す鏡でもない。

Bushが5月に移民について演説したときは、台本作家は難しいことを切り詰めて、25,000語程度の簡単な演説を作った。が、放送後3時間で、25,000以上のBlogが、演説の中の小さな疑問点を引用して論じていた。人間が物理的な物体を理解するためにひっくり返したりこねくり返したりして調べてみるように、多くの人が単純だったものを"complexify"して、よりよく理解しようとした。知識とは単純なものではない。

Wikipediaを見ていれば、誰にとっても同じという知識がないことはすぐに分かる。

組織化されているのか? propediaのようなものを書いた...という人がいたが、彼は決して新たな情報を加え得たのではなかった。フランスの百科事典では項目がすべて分類されていて階層構造になっているが、「宗教」は「迷信」のとなりに分類されている。Wikipediaでは、項目のアルファベット順にはほとんど意味はない。カテゴリ機能もまだまだ改善の余地がある(というところで会場がちょっと受けていたのだが、Wikipedia素人の私にはどういう意味の笑いなのかいまいちわからなかった)。NPOVはそもそも分類の概念がなければ成立不可能である。

正しいか間違っているかの択一なのか? Britanniaを読んだ人はだいたい「信頼が置ける情報だ」と思う。が、Wikipediaを読んでいる人は自分が今読んでいるものに信頼をそのまま置くわけではない。編集履歴の長さをみてみたり、discussion欄を見てみたりすることによって、さらには、誰でも自分で編集できる、ということを明らかにすることによって信頼度を確保するにしている。
「この記事の中立性が議論されています」という注意書きまで親切に出してくれる。このタグがついた新聞記事を見たことがあるか?

我々より大きいのか? Wikipediaがカバーしている項目は、良かれ悪しかれ人類の興味の対象を表している。なによりWikipediaは(Lessigのスタイルに戻り)"ours"、我々のものであるという感じがする。

誰にとっても同じひとつの真実があるのか? Wikipediaのページが生まれ、どのように編集されていくのかを見ればそんなことはない、ということがわかる。(典型例として編集頻度のグラフについて、これが典型的だよねとDavidが聞くと、聴衆から「場合による」と答えがあった。「えー、でも続けるよ。だってパワーポイントのスライドやってるの私だから」といって続けたりしていた。学校の先生のやり方だよねとかいいつつ)。例えば、「カルシウム」に関するエントリは大した編集もなくおそらくはもう落ち着いているだろう。1868年に発行された"The World Almanac"では、諸々の事実を説明することによって、当たり前のことを一般物品化(commodity)した。釘とは一般商品で、もう我々は釘のことは余り心配しないでよくなっている。物事を一般化することによって、我々は一段上に上がって、そのレベルでものを考えることができるようになる。Wikipediaの最強の点は、知識を一般物品化(というか一般の手の届くものに)したことにある。ハイデッガーは、「金槌が金槌であるためには何が必要だろうか?」と問うた。答えは、そのためには釘がある、ということを知らなくてはならないというものである。釘は板があって釘であり、板は木があり、森があり、太陽があり、宇宙すべてがあってなりたっている。知識とは、意味が暮らす王国(realm of meaning)なのである。外部化、ということを考えてみると、我々は今意味をWikipediaに外部化しているのである。Mitch KaplarはWikipedia内のタグを解析して新たな意味を見つけようとしているし、Semantic Webも意味のネットワークを作ろうとしている。もともとハイパーリンク(つながるということ)は意味なのだ。我々は知ることはだいたい得意である。knowledgeは単数にしかならないが、understandingsは複数になれる単語である。(というところで終わったのだが、今思うとunderstandingsについてどういう意図で言ったのか分からなくなってしまった。)

元気に早口でしゃべるものの、Lessigのように勢いで圧倒しようというプレゼンではないし、なにより引用したり例として使うものとのつながりに深みがある。ジョークがちりばめられていて面白い。知識とはプロセスでありネットワークである、というのもすとんとうなずける。こういうことを書くと語弊があるかもしれないが、あらかじめ何が書きたいのかわかっていないとコードがかけない言語と、そうでない言語における開発方法を思い浮かべる私である。多視点の強調も良い。「本のカバーとカバーの間にあるのは何か」という禅的な問い、そして「それは紙だけど、本当は知識なのだ」という答えも良い。ハイデッガーの「金槌であるには」という問い、そしてまた「釘を知っていること」という答えも良いし、それから帰結されるオブジェクトのネットワークがすべてを表現するという話も良い。「間を意識したオブジェクト指向としてのSmalltalk」である。「我々は物を知るのが得意である」というのはちょっと同意しかねる面もあるがな。

発表の後でまた頂上作戦。「今回の会議で一番良かったし、Lessigの発表よりも良かった。Lessigのプレゼン方法をパロったことが、Lessig自身がプレゼンの中で言っていたRW cultureの見本になっているというのがその理由だ。」ということを言ってみた。それも意識してやっていたのかと思ったのだが、俺の話で受けてくれた笑い方を見ると、案外盲点だったのかな。(WeinbergerはLarryとは友達だよ、と強調していた。)

Wikimaniaは、Lightning Talkをするだけで終わるかと思っていたが、人々の素直な情熱を目の当たりにすることができて、とても有意義だった。皆がスターなのだ、という意識は、純ソフトウェア作り、あるいはそれに近いプロジェクトではなかなか共有することができない。人間のやることだから実際には色々あるとは思うが、それをも"embrace"できるプロジェクトなのがうらやましいところである。

夕方からは、また日本人管理者の皆さんとBoston観光。強行軍のため歩きながら寝ている人もいたが、Boston Commonsを巡り、デパートにも入り、North EndのLittle Italyで思わずパレードに遭遇しつつゆっくりと御飯をいただきました。どうもありがとうございます。某Mさんはid:turkeyさんのダチだということが判明したりもしましたね。