Letters from Iwo Jima (硫黄島からの手紙)

HollywoodのArcLight Cinemaで鑑賞。

彩度を抑えた映像も、「大きな絶望的状況とその中での出口のない奮闘と偽りの希望」を表していたでしょうか。決して戦争をよいやつらと悪いやつらの戦いとして見せるわけではないのですが、その中でも個々の人間としての尊厳を描こうとしています。

戦争は概ね無為な人類の行為ですが、個々人の振る舞いはまたそことは別次元ではあります。また、その行為によって現在のわれわれがあるという認識を忘れてはならないでしょう。栗林司令官が劇中述べたように、「後世の日本人が硫黄島で戦ったわれわれのことを思い出してくれるであろう」という思いに、現在の日本人が応えられているだろうか、という問いは持たなくてはならないでしょうね。さらには、彼らの「物量には負けたが、精神性で負けたわけではない」という観点は、バランスを失えば上記のような過剰な精神論に陥りますが、それでも現在でもきちんとしたものを持っていたいと思うわけではあります。

Hollywoodの映画館で見ると、他の人々の笑いどころが違う場合がしばしばあります。千人針とかはアメリカ人にはわけ分からんおまじないにしか見えないところはあるようで、失笑が漏れていました。まあ致し方なし。摺鉢山での自決というのが本当にあったのかは分かりませんが(映画のために他の戦場でのエピソードを持ってきたのかも)、笑い声が上がったような記憶があります。あまりにも不合理ですからね。

Wikipediaを見るとFlags of our fathersに比べてフィクションのところも多いようではあります。1949年まで終戦を知らずに潜伏していた兵士2名、というような逸話、ルーズベルトへの手紙と言った逸話は、「事実は物語よりも奇なり」という感じですね。島民の村落を行進するところなど、実際にはもっとびしっと足をそろえて後進していたりするのではなかろうか、上官との会話はもっと硬かったのではなかろうか、とも想像します。Wikipediaで言えば、栗林司令官や市丸少将の残した格調ある文語体は、英訳にはいかんとも反映しがたい点はいくらか歯がゆいです。

というわけで、お勧めです。このスケールで、誰か第442連隊戦闘団の映画を作ってはどうだろうかと思ったりもしますね、やはり。