疑似科学

http://d.hatena.ne.jp/squeaker/edit?date=20050114にもちょっとだけ関連しているが、疑似科学に関する僕のスタンスとしては、信者を転向させるのは無理なのだし、直接そちらを叩こうとするのではなく、まっとうなやり方で世の中を良くするようにちょっとずつ努力するべし、ということにある。が、最近あちこちの人の日記で「ありがとうと水に言うときれいな結晶ができる」という話が書かれていて、今日になってさらに一気に関連情報を読んでしまった。(つまり、えらそうなことを言いつつ、実際にはしばしばその手の論争ねたを読み耽ってしまい時間を無駄にしているわけなのである。)

この話は、TOSSという教育のノウハウ共有運動(http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/toss_watch/index.html)でこの話(http://www.geocities.jp/mizo4560/mizu/mizu001.html#linkc)が含まれているそうで、学校現場の道徳の時間(!)でまじめに取り上げられていたりするそうである。

これもまた、百万年単位で人間が興味を持ち続けてきた「物語」が、高々400年くらいの「科学」を、(人間の頭の中で)あっさりとやっつけてしまうという例なのだ。物語がいけないわけではないけど、「科学とは物語ではない」というのが"the whole point"なので、物語は科学の振りをしてはいけない。

というように対岸の火事といった風情で言っているだけでは済まず、実際に学校で先生が教えているというのは正直やばい、と思ってしまう問題ではある。

Squeakも、阿部さん命名の「アニメーション・ブラックホール」というやつにおちいって、「物語作り」で終わってしまう、ということがしばしば起こってしまうのだが、先生がそれでよいと思ってしまうとそれで終わってしまう。

Jay Lenoのジョークで、「学校の生徒のことは心配するな。見てごらん、みんな先生と同じくらい良くできるようになっているよ」というやつがあったなあ。

うーむ。

毛玉

「まっとうな自分でできるやり方」ということでは、水(氷)の結晶の成長を毛玉でシミュレーションできるようにして、子供がいろいろと書いてみて結晶のでき方は別にビンに張ってあるシールなどというものを持ち出さなくてもおおいに変わりうる、ということを理解してもらう、ということを目指すべきかも知れない。

ただ、「...というものを持ち出さなくても説明できる」という論法は、そういう論法になじんでいないとその意味がわからないという問題はあるように思うが。