John Maxwell

というわけで、昼寝したらすっかりディテイルは忘れました^^;以下のものは年度もかなりあやふやなのであんまり当てにしないでください。

  • overlap windowはSmalltalk-74でも作ってはいたが(Alto以前)、今のもののように使えるやつは77年に作った(この辺はid:sumimな鷲見さんのhttp://squab.no-ip.com:8080/collab/24とは食い違っているので、今日の僕の記憶のほうが間違っている可能性が高そう)。
  • XEROX Parcは84年に離れた。
  • Appleに直に行った。Apple Smalltalkが動くようにして、Fabrikをやってというのがこのへん。
  • 8年くらい「Family Business(ホテルの経営)」をして、リゾートに発展したりもしたし売却した。
  • 最初のWeather Stationをやった、というのがここだったと思う。
  • Interval Researchで"Box" languageというものを作った。箱をマウスでつなげていく、というビジュアル言語だったが、Smalltalkでprimitiveに相当する箱に入るとFPGAで作られたロジックが実行される、というものだった。このときのボスは、ParcにいたDick Shoup(ディック・シャウプ)。あるバージョンのSmalltalkを作った、という話もここであったような気はする。
  • Truckeeからシリコンバレーに通っていたのだが、あるとき疲れてTed (Ted Keahler)の家に倒れこんだところ、Alanのチームで面白そうな事(というのがSqueakだ)をやっていると聞いた。
  • Alanと一緒にまた働き始めて数ヶ月はSqueakの実装だけだったが、そのころはAlanも本当に何をやるのか考えているところでもあったようだったのでちょうど良かった。

というような話に近かったような気がします。その他、スノーボードもするし、昔は水車を作ったこともあるし、幅のある人です。

他に、お昼をみんなで食べに言ったときに、Squeakの生い立ちなどがAlanとDanからも語られましたがJavaも使ってみようかと思ったがもちろん他の言語を実装するには余りにも役立たずだったし、QKS Smalltalkも見たそうだが、結局自分達で作る事になった。で、なんで自分達で作るようになったのか、ということには、結局人それぞれの思惑があってひとつの答えは出にくいところではあるが、いずれにしてもあるプロジェクトが成功するためには参加者の幅広い夢と愛を満たすような形でなくてはならず、SmalltalkやAltoをやっていたときもみんな自分のやりたい別々のことをやっていて、Lisp派の大人向けの言語を作っていた人も他の組織なら敵対するような子供向け言語をやっていたチームを邪魔しようとしただろうが、Parcではそれでも協力すべきときは協力した。それはビジョンが共有されていたからである。

If you know how to do it, implement it. If you don't, you implement it anyway.というのもParcのことわざのひとつ。