C5 2006

長尾先生のあいさつで始まったC5 2006。

Alanもあいさつを引き継ぐ。いつものように上林先生にお礼を言った後で本題に。5つのCの中でCollaborationが弱い。Engelbertは今週81歳の誕生日を迎えるが、彼がデモしたNLSのビジョンを超えるようなものがでていない。CognitizingかCognitingみたいなもので、"through Computing"みたいに受動的ではなくて、考えるコンピュータみたいなものもあってもよい。Lickriderが1962年に言ったことば「コンピュータはいずれ我々の想像を超えて何かわからないものになる」という予想も満たされていない。人もコンピュータによって変容したとはいえない。

Bob Steinとは80年代に、オンライン版Encyclopedia Britanicaを作るプロジェクトをしたときに出会った。インターネットは広大なひろがりをもった1インチの深さしかない唾の海みたいなものなので、深みを持ったものを見つけるのが難しい。Bob Steinはコンピュータを新しいメディアとして使った初期の人であるが、早くに始めた、というだけではない。コンピュータとそれを通じた協調ということに関して深い洞察をした人である。

という紹介の後、Future of the Bookプロジェクトを進めているBob Steinのキーノートである。

Bos Stein。Voygerという会社を作って最初のコンシューマ向けCD-ROMタイトル"Beethoven's Ninth Symphony"を出すところからはじまって(Alan Kayの扇子を扱ったのと同じ会社なのだな、今頃気がついた)、今も活発に活動しているビジョナリーである。

本を読むという行動のイメージは、本の中に頭が埋まっている感じ。書くことのイメージもAnthony Russoの絵のように一人である。
'81年にMITを訪れて、David某のやっていたPhD論文のデモを見た。コンピュータ上の本で、単語をクリックすると意味が出てきたり、絵をクリックすると動画が始まったりする。これが大きな"a-ha"の瞬間だった。11歳の息子がいたが、彼は飛行機がどうやって飛ぶのかに興味を持って図書館から大量に本を借りていた。彼が一部のことを理解するにはアニメーションがあれば良かったようにもみえた。
が、一方本の良いところは読むのを一時やめて考えたり読み返したりできることである。producer drivenのメディアからuser drivenのメディアへの移行が、マイクロプロセッサなどによってできると思った。

まずは、DisneyのアニメータだったGlen Keen (?)に、未来の百科事典がどのようになるのかのイメージ図を描いてもらった。絵はだいたい携帯型のワイヤレス情報機器を使ったものだが、博物館で子供が携帯機器を持ち歩いて情報を聞いたり、旅客機の客席に座ってビジネスマンがコンピュータの画面を見て勉強したり、地震があったときにベッドサイドに置かれたコンピュータで情報をすぐにみたり、農場経営者が、畑に出て情報を見たり。

だが、これらの絵に描かれた情景も、まだそれぞれが個人的な知的活動としてかかれたものに向き合うというスタイルは変わっていない。

Stravinskyのthe Rite of Springという曲を説明したCD-ROMの例(80年代後半)や、Who Built Americaという、3000以上の画像や動画や音声を使ったアメリカの歴史に関するCD-ROMなどを作った。

92年(?)にIthacaへのバスに乗っているときに、次の"a-ha"の瞬間が「ついに」来た。...

そもそも印刷された本が、印刷されているというだけである種の「権威」を帯びるようになったのはそれほど昔のことではない。その前は、上流階級は手紙を送りあい、それを筆写して意見を加えて書き直す、ということを繰り返してひとつの文章を書く、という文化もあった。

例えば、マルクスエンゲルス共産党宣言は、58ページの本である。もし、それが今のテクノロジーで書かれて(blogのように)"Comments:"というセクションが付いていたとしたら、150年後の今は何百万のコメントが付いていて何百万ページもの本になっていることだろう。いったいどうやってそういう本をまとめればよいのだろうか。

そのように、読者との対話によって本を書いていくスタイルは、O'reillyの"Rough cuts"とか、"without gods"というMitchell Stevensのブログで試みられている。将来は本というのは買うものではなく購読するものになるかもしれない。

個人的活動から協調活動へ、執筆活動が変わっていく。Sophieというコードネームで作っている電子本プロジェクトでは、"chat"というセクションを付けられる。

もうひとつのa-haの瞬間は、17inchのディスプレイでMac OS Xdashboardを見たときに起こった。9 inchのマックでthe rite...を作っていたときは、文字が画面を埋めていて他の情報がなかなか表示できなかったが、大きなスクリーンで、視点の違いを奥行きで表すようなdashboardのような仕組みがあれば良いのかも知れない。

Q&Aは、まず変化してしまう本の危険について。書き直しているうちに、書かれた当時の視点が失われてしまう。それに対しては、オリジナルは常に維持しておくことができるだろう。
商業的に言って、出版社がそのような本を維持する理由はなんだろうか。モデレーターの職ができるのは確かではある。

結局、書くほうが読むよりも難しいという問題があるのでは?New Yorkのセントラルパークであった、オレンジ色の布を飾るGatesという芸術作品があった。Gatesの一番良い写真のコンテストをして(しようとして?)、何百万もの写真が集まった。いわば集合的なGatesの記憶である。Frickrに350,000以上の写真が集まったということを聞いて、後で気が付いたのは、それぞれのユーザーがいろいろな写真を選んでコメントをつけて、それぞれのストーリーを作れるようにしたら良かったのに、ということである。Frickrのソフトはそういうことができるようにはなっていなかったが。

というような話だった。さすがBob、いろいろなことの経験から自分の興味を深く突き詰めていき、仕事に繋げているところが素晴らしい。

今年のC5は3パラレルなので、とても困る。論文の採点によって順番にSession A, B, Cに振り分けられているような気もしなくもないのだが、その採点も別に厳密じゃないし興味を持つものは違うしな。

まずは、木俵さんのTVMLとちびロボのはなし。Power Pointの中に真っ黒な長方形を作っておいて、その隙間に別のプロジェクタで山宮さんが操作するデモ画面を表示するという技を使っていた。プロジェクターっていうのはスクリーンの白が黒になるわけだが、そこに黒を投影しても黒のままなので別の画面が表示できるんだよな。

次は門林さんによるAnnotationの話。Alanが共著者になるくらいなら僕がなってもおかしくはなかったのでは、と思わなくもないが、まあ人生そういうこともあるのだろう。再びPower Point。この話は一般ユーザーが使えるようになった暁には、このツールそのものが「説明を付加して話を膨らませていく」というスタイルのプレゼンテーションに最適のツールになることであろう。

是津さんのやつ。サーチエンジンの振る舞いをエンド・ユーザーが記述できるようにしたい、という話。実際の発表のときにも言ったのだが、FabrikかSwimmyみたいに線でデータフローをつないでいくスタイルで作れると良いと思われる。eToysに手を入れて、ちゃんとデモをしていたのが素晴らしい。

Mark (McCahill)の発表。VectorFieldの話は向こうが待ちきれなくなるうちに僕のほうが3次元版の毛玉を作っていかなくてはいけないねたである。船のやつはゴジラのようで面白い。

Ruzena (Bajcsy)は声を聞いたことがあるものの、会うのは初めてだった。Citris Galleryなど。

IntelのMiramarという社内用情報共有ツールは見た目かっこよいし、ちゃんと使えているようである。

夕方からCroquet Consortium BOF。途中から参加したから良く判らないけど。その後バンケットで田中先生をはじめいろいろな人に挨拶をしつつ酔っ払う。

夜のしめはofficialでgenericなBOF。なぜか阿部さんと一緒に司会者の指名を受けていたので、がんばって仕切ってみた。絶妙の時間配分だったはずなのだが、CraigのMacがプロジェクタにつながらず、たっぷりと時間をロスしてしまったのが残念ではある。

高田さんの脳のやつ、MichaelによるSophieのデモ、Edによるアバターの大きさ(視点)を変えることによって、巨大なMars Roverを見たりする"the Power of 10"のCroquet版、Chris (Muller)によるMauiのデモなど。面白かった。が、最後まで残っていた人の7割くらいは日本人だった、という不思議(でもないけど)な状況でもあった。