立命館小学校でのイベント

今年開校の立命館小学校はなにしろ立派な建物であった。教室はややきれい過ぎて、壁には子供の絵や習字、あるいは地図などもなかったため、「学校」というよりは「病院」という印象を与えるくらいだった。が、あれはもしかしたらまだ将来用の4-6年生のがらんどう教室をたまたま授業参観のために使っていただけなのかもしれない(まだ1-3年生しかいない)。

Squeakに関しては、まだ3年生と言う事、そして使っているコンピュータが主にTablet PCだということもあって、可愛らしい絵を一生懸命描くものの、スクリプトとしてはそれをくるくる回すだけ、といった感じではあった。今後に期待であるが、阿部さんが言ったように絵を描かないで四角や三角だけでやり、そのかわり条件分岐の概念などをまじめに教える数時間、というものが必要になってくるのかもしれない。

100ます計算で有名な陰山先生が副校長(だったかな?)なのである。3年生には今のSqueakは少し早い、という話をしていたら、陰山先生は「そう、だいたい小4の2学期くらいに大体子供はがらっと変わる」とおっしゃっていた。

英語を教えているところはなかなか不気味な光景だったが、それ以外には思っていたよりは変ではなかったとも思う。子供達は先生の言うことをよく聞いていたし。かなり期待である。

が、写真撮影の時に、Alanの周りに集まった子供達がざわざわとしていたら、先生が「静かにしないと声も写るよ」と言って黙らせていたんだよな。確かに「びしっ」と一発で黙るという効果はあるのだが、嘘をついて黙らせることには抵抗を感じてしまう私である。ナイーブかね?

Alanも何度か、そして阿部さんも伝えようとした共通のメッセージとして、「コンピュータは紙と鉛筆と同様に絵を描いたり、字を書いたりポスターみたいなものを作ったりできるし、お話を作る道具にもできるのはある意味明らかである。が、コンピュータにはもっと別の使い方、特に数学や理科を学ぶときの助けになるという、明らかではないけどもっと面白い使い方がある。」というものがあった。が、この話を聞いた大人(や子供)の様子や感想を聞くと、前振りに過ぎない「明らかな使い方」の方を勧めているように受け取っている人が多かったのではないかという印象を持った。まあ難しい話ではあるけど。

(追記)声の撮れるカメラの話は、絶対におかしいというわけではない(幼稚園だったりすれば)。が、小3だとそろそろひねた子が出てきて(俺?)、「カメラで声なんて撮れないさ」と思ったりすると思われる。そう思われたときのゆり戻しが怖いのでは?と思わなくもない。