UCLAと京大の講義(その2)

日本ではまだ新学期が始まっていないので、今日はUCLA側だけ。主に「コンテキストをセットする」ために、集まった学生と向き合ってAlanがしゃべる、というスタイル。

 AlanはMIT Media Labといっしょにやっている100ドルラップトップコンピュータ計画にだいぶん燃えているので、今回の授業のテーマもなぜ教育が重要なのか、と言う授業のテーマについて、いろいろな方向から例を挙げて語っていた。

 世界では子供が毎年1000万人ずつ死んでいるのだが、この問題を解決するためにできることをするべきである、という話。2002年のBioVisionなる生物学の国際会議に参加したが、そこでは世界の大きな問題は何か、と言う話題が出て、飲料水の確保と女性の教育という二つが挙げらていた。子供の死亡率も飲料水の不足から来るものが多い。女性の教育は、「女性が文明の伝達者の役割を果たす」という話だけではなく、出生率と最も相関の高い変数は女性の教育水準なので、人口問題の対処にもなる。

学生からは、100ドルコンピュータを作ることがどのようにこの問題を解くことになるのか、という質問が出た。答えを与える、と言う形ではないがAlanが言ったことを総合すると、"appropriate technology"という概念が重要、ということである。インドの緑の革命はインド政府がとった食糧問題に対する対策であった。最初は西洋風にトラクターを導入して大規模にやろうとしたが、土壌を圧縮してしまってうまくいかないことに気が付いた。馬で鋤を引いてやろうとしたが、馬を育てるのも時間がかかってしまった。そこである人が思いついたのは、芝刈り機に使う二馬力のエンジンを紐でつってそれに鋤を付け、畑の端から端まで動かす、という方法であった。というわけで、発展状況に応じた適切なテクノロジーを考えることは重要である、という話であったと思う。

 いつもの印刷技術とのアナロジーもあった。印刷技術が発明された後も、ページの順番付けは、あるページを前のページの最後の2語を繰り返して始めることによって行われている時期があったが、エラスムスグーテンベルクの発明から65年後に、自分で書いたことを後から参照することによって違った形で論述を行える、と言うことに気が付いて、ページをつけることを思いついた。このように、当たり前のように思えるテクノロジーも、しばしば基盤となる別の技術の発明後大分時間が経たないと生まれない。

印刷術前は、図書館と言うのはフランスの某図書館に372冊蔵書があったり、フィレンツェで一冊ずつ別々の机に鎖でつながれた60冊の蔵書があったり、どこかに142冊あったりなんだりと、そういう規模のものだった(こういう数字が記憶の中からどんどん出てくるところがほとんど西之園萌絵状態なわけである)。

話は戻るが、南アフリカではエイズが大きな問題である。理由の一つは、学生が言ってくれたが政府がHIVが病原体である、と言うことを認めない、ということであり、もう一つは「処女を犯すと病気が治る」という神話を信じている人が多いからである(2番目のやつは僕は知らなかったが、異論はあるもののある程度は事実のようだ)。とにかく教育は重要。

 最後はemergent phenomenonの話題が出た。俺も先日"More is Different"というノーベル賞学者フィリップ・アンダーソンの短い論文(講演録)を教えてもらって読んだのだが、こちらも彼のマイブームのようである。というわけで、毛玉に関する期待を高めて(俺の中だけだけど)木曜日の本番に「続く」ということで終わった。木曜日は毛玉のデモもたくさん出そうな気はする。